ノルウェー滞在報告(2023.3.15~6.15) 近藤 百
●ノルウェーの教育の概要
・ノルウェーは教育費が無料であることがよく知られているが、実際にそうである。所得にとっては寮費や学費を支払う必要もあるようだが、無償の奨学金で賄えることも多く私学への進学のハードルは高くない。
・学期は2学期制で、小学校は7年、中学校は3年、高校は2年か3年が普通。年度始まりは8月中旬で、6月中旬の夏至の時期が年度終わり。
・職員の給与は国が保証しているため、学費は学校維持費に使われる。ただ物価は高いため学校経営はそう簡単ではない。
・施設はおおむね最新式が導入されており、企業とのタイアップも多い。企業主体のコンペに農業経営をしている校内チームで参加することもあり、教育現場と社会の接点は日本よりはるかに多い。
・学校は16時までには完全に閉まる。職員も16時には必ず帰る。そのためノルウェーの晩ご飯は16時。
・学校の掃除をするという概念はなく、基本的に専門のスタッフが行う。近藤の主観だと、ノルウェーの教育は「体験」に特化しており、専門的と言える。たとえば体育やクラブ活動は地域のものに参加したければ参加することになっている。日本は生徒との関わりや、掃除も含め「家庭的な教育」の延長に学校があるように感じる。どちらが良いか悪いかではなく、必要に応じたバランスが重要である。
●ノルウェーで暮らして
ノルウェーは日本の2倍の物価で、消費税は25%(一部15%)。他にも北海油田の石油の利益があり、それらは高福祉の財源として使われる。そのため年金も保証され、医療費も保証されるため老後の蓄えは老人ホーム代(自宅介護はまずない)が払えたら問題ない。高税率でも経済が回るのはそのような国の生存保障の下支えがあってこそである。そこにはノルウェー国家が国民に期待する姿勢が表れているように思う。日本の場合は国民の平均点を大事にするように感じるが、ノルウェーではそれぞれの100点を出してもらうために国家に何ができるかを考えているように感じる。その根本的な部分には、国民の数が圧倒的に少ないことがあるように思う。つまり国民は国家が面倒を見る存在ではなく、国民によって国家が存在しているため、それぞれが頑張らないと国が持たないというノルウェーの「常識」があるように思う。それを感じるのは教育以外にも交通でもある。
ノルウェーでは電車の改札も無ければ切符もネットで買う。車ではETCの替わりに車のナンバーと個人の口座が紐づいている(国に支配されている認識はない)。信号機は全然ない(ラウンドアバウト)し、標識も少ない。効率的で不親切と捉えられるかもしれないが、国民の考える力に期待しているともいえる。日本ではなんでも責任論になるのでついつい過剰サービスになりがちだが、ノルウェーでは「人が少ないから」とその辺を割り切ってシステム化したり、簡素化したり、国民に期待したりしているように感じる。
そもそも、国民は政府と対等な意識を持っているので、自分たちで国のカタチを選択している意識が高い。ノルウェーではちゃんとした独立はほんの100年前だし、そもそも農民ばかりの貧しい共同体が作り上げた国家なので、自分たちの国という意識が非常に強い。その様子はナショナルデーにも見られたが、ここは日本人にはわかりにくいところである。他にも国会議員は専任だが、市議会議員は基本本職が別にあって、会議の時だけ給料が出る仕組みである。なぜそうなのかを尋ねると「人が少ないからじゃないか?」とのこと。恐らくそれが本当だと思うが、市民生活の延長に政治があることをまざまざと見せつけられた。
昔と比べ、ノルウェーも農家が減り、家庭菜園もほとんど見ないようになったという。実際スーパーに並んでいるモノは、パンと肉と牛乳と少しの野菜以外は輸入である。それでも自給率が高いのは食生活が大きく変化してないからである。ノルウェーは朝昼晩と夜食の全4回一日で食事があるが、朝と昼はパンとジャムとハムとキュウリがほとんど。日本のように和洋中から「今晩は何にする?」なんていう選択肢の広さはない。それでも家族でそろって食事をし、家族との時間を大事にする国民性は見習うべきところが多い。
ノルウェーは16時にほとんどの人が帰宅して夕食を取る。そのあと薪割をしたり、大工仕事をしたり、日照時間が長い夏は山に登ったり自転車に乗ったり、散歩したりと遊びと生活に忙しい。高所得だから贅沢に浪費しているわけではなく、そもそも物価が高いので自分たちで出来ることは何でもしてしまう国民性がある。そのためホームセンターの品ぞろえはすさまじく、大都市圏ですらDIY工具や木材は日本の比ではない。仕事にかなりの熱量を割く日本人からすると考えにくいかもしれないが、ミッション性を仕事に見出し、それに熱中する日本人と、仕事と同じぐらい暮らす場所や環境にエネルギーを割くノルウェー人のどちらが幸福かはそれぞれ考えるところがあるだろう。誤解のないように言うが、何を幸福と感じるかはそもそも国民性にも個人にも左右される。もしノルウェー人の暮らしを日本国民がしたら、なにかソワソワしてしまうかもしれない。ただし自分の人生のミッションと暮らし。この配分は立ち止まって考えさせられたテーマとなった。
もうひとつ印象的だったのは自然に対する考え方である。ノルウェーは氷河の削ったあとの岩山だらけの国である。耕作面積は経ったの2%で表土もほとんどない。ましてや北極圏の国であるから白夜と極夜がやってくる。もうどうしようもないのである。現代の技術をもってしても岩盤だらけのノルウェーは道を作ることも簡単ではない。自然を支配して利用することはそもそも想像すらできないのである。だから自然と共に生きることが当然のようになり、素朴でお互いを補い合う国民性が生まれたのではないかと想像する。
日本はこれから人口が減る。しかし現在は史上最高の人口である。今まで自然を資源と捉え支配し利用していたところから、住処として捉えなおす必要があるのかもしれない。人口が減る中で、個人に期待しながら自然を支配しない生き方のヒントがノルウェーにはたくさん見ることができた。


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