小谷純一

愛農運動史

小谷純一と内村鑑三の流れ

小谷純一は、内村鑑三の影響を受け、1950年に信仰雑誌**「聖霊」を創刊し、内村の「デンマルク国の話」を連載しました。小谷は内村を、日本の誤った愛国心や富国強兵路線を痛烈に批判した「預言者」であり、神に選ばれて日本国民の思想を浄化し、国家の滅亡を防ごうとした「義人」「世の光」**であると高く評価しました。 小谷は内村の弟子である黒崎幸吉、政池仁、矢内原忠雄らを愛農塾や愛農聖書研究会(1958年設立)に招き、内村の信仰と教えを愛農運動の中心に据えました。特に矢内原忠雄は1957年に愛農会の信仰大会で講演し、その活動を高く評価しました。 小谷自身も内村に触発され、自身の卑怯さや弱さを自覚しつつも、敗戦日本と人類を救う**「愛農救国運動」**の遂行という神の召命に応答する決意を表明しています。

愛農運動史

小谷純一と良心

小谷純一は、キリスト教信仰において**「良心」を最も重視し、神の声を聞く受信機として人間に備わったものだと説きました。愛農学園農業高校の建学の精神では、「神を忘れた良心は麻痺する」と警告し、その覚醒**を教育目標としています。 小谷は「聖霊」誌上で、良心を「神のみ姿をうつす鏡」と呼びましたが、人間の良心は罪によって汚れ麻痺しているため、そのままでは神を見ることができないと指摘しました。カントの言う実践理性にも言及しつつ、努力や修養による良心の清浄化を否定。キリスト・イエスの十字架を信じ仰ぐことでのみ、良心の汚れは洗い清められ、**「世の光、地の塩」**たる真実な良心に甦ると強調しました。 彼は、聖書を通じてキリストの人格とみ言葉に触れることこそが、眠れる良心を目覚めさせる道であると教えました。